感謝!病院薬剤師さん

石原さとみ主演のアンサングシンデレラというドラマをご存知ですか。

病院薬剤師の主人公(石原さとみ)が、薬剤部のメンバーとともに、医師、看護師、外部の薬剤師と連携し医療の問題と向き合っていくドラマです。

ドラマでは、病室を訪ねて患者さんの様子を確認し、患者さんが置かれている状況に応じて薬の変更を提案したり、薬剤師からわかることやできることを提案するシーンが多くありました。

 

 

私が入院した病院にも薬剤師さんがいて、入院中の服薬の管理をしてくれました。

服用している薬を全部確認して、手術前後に服用する分だけの薬をピルケースに入れて、それ以外は飲まないように準備してくれました。

 

10年ほど前にピロリ菌の除菌(1次除菌)で服用した抗生物質でアレルギーが出たことがあり「2種類の薬のうちどちらかのアレルギーだけど、わからない」と答えたところ、そのときに処方した抗生物質についてお薬手帳に控えてある薬局に確認してくれました。

1次除菌と2次除菌に使われる抗生物質がそれぞれ2種類あり、ひとつはどちらにも使われているそうで、2次除菌が成功したのであれば、どちらにも使われている抗生物質はアレルギーではないということなので、1次除菌でアレルギーの原因となった抗生物質が特定できるとのこと。

手術や術後の発熱などしたときに使う抗生物質を選ぶための確認だそうで、より私に合うものを選びたいと何度も病室に来てもらって、手を尽くしていただきました。

 

あらためて、お薬手帳が大事だと思いましたし、役に立った瞬間でした。

 

 

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神経原性腫瘍、入院の準備

12月に甲状腺のCT検査をしたときに別の病気が見つかり、その後のMRI検査で神経原性腫瘍(良性)と判明しました。今月中旬に手術することになり、ぼちぼち入院の準備をしています。

 

神経原性腫瘍とは

交感神経や肋間神経などから発生する腫瘍で胸の後方(後縦隔、こうじゅうかく)に発生するものが多く、検査で偶然見つかるケースがほとんどだそうです。

縦隔(じゅうかく)とは、胸の中央で右肺と左肺を分ける部分のことで、後縦隔は胸の中央後方になります。

私の場合もまさしく肋間神経由来の腫瘍で、背骨のほうに食い込むおそれもあるので摘出することになりました。

胸腔鏡手術で右胸の後方にある腫瘍を摘出します。

3泊4日で退院できる人もいるそうで、長くても1週間とのことです。手術当日の前日と翌日の入院で済むくらい、体への負担が軽いようです。私も3泊4日で退院できればいいなと思います。

 

入院の準備

今までに何度か入院の経験をしていて、入院セットを準備して置いたままにしていたら、さすがに10年前のシャンプーやコンディショナーは変質して使えない状態だったので、処分して新しいミニセットに買い替えました。

 

コンビニやスーパーでもらってどんどん増えていった割り箸や、買ったけどずっと使っていない紙コップがたくさん残っていたので、入院中に使い切ろうと思います。

 

入院までの体づくり

コロナ禍の入院ということもあり、いつもより体調には気をつけたいところです。毎日のヨガ、ピラティスの時間も少し長め、運動量を増やしています。

骨密度を上げるためにカルシウムとビタミンDを飲んでいますが、日光に当たらないといけないそうです。冬の時期は20分、散歩をするように促されました。

今日の通院の帰り、少し遠回りをしました。

「散歩しよう」と思いながら歩くと、いつも素通りしている景色に目がいきます。生垣が散髪(剪定)されてサッパリしたなぁとか、この時間はワンちゃんの散歩をしている人が多いな、など。

 

入院するとなると、どうしても考えすぎて不安になります。

病気のマイナス面ばかり見ないように、散歩して気持ちを落ち着けるのもいいです。

 

 

 

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9(ナイン)エンダー「人生を振り返り、次の年代につなげる」

2月、私は49歳になります。

9(ナイン)エンダーという言葉をご存知ですか。

19歳、29歳、39歳、49歳…と、各年代の最後の年齢を迎えた人を9エンダーというそうです。

なんだか差し迫った響きを感じます。

 

10年という恣意的な区切りの終わりに近づくと、心の中で何かが目覚めて、人々は行動を変える。

(中略)

ラソン初参加者のなかで、9エンダーは実に48パーセントも占めていることを発見した。全年代を通じて、マラソン初参加者の割合が一番多かった年齢は、29歳だった。29歳の人がマラソンで走る傾向は、28歳、または30歳の人と比べておよそ2倍にのぼった。

また、マラソン初参加者は40代初めで減少するが、49歳で著しく急増する。49歳の初参加者は、1歳しか違わない50歳の初参加者の約3倍にのぼる。

 

引用元:When 完璧なタイミングを科学する

 

「心の中で何かが目覚める」とは

年代の最後の年齢になったとき、その10年を振り返る人も多いと思います。

たとえば39歳。30代で何かやり残したことはないだろうか。

もっと勉強すればよかった。

もっと運動すればよかった。

自問するうちに

「このまま何もせず40歳になるのはイヤだ!何か一つだけでも30代のうちに始めなければ!」

という衝動にかられ、新しいことにチャレンジするのでしょう。

 

ちなみに私は39歳のときに韓国語の勉強を始めました。

私の30代は子宮の病気と消化器の病気で手術ばかりの10年でした。

「周りに迷惑をかけている」という気持ちが支配し、やりたいことを押さえつけて、できないと決めつけて生きていました。

39歳の誕生日に緊急手術が決まって、なんて最悪な誕生日なんだと底に沈んでいくような気分でした。

 

手術したら生まれ変わる

手術が決まって、もう逃げも隠れもできない状況でしたが、やっぱり怖い。

なんとか肯定的に受け止めたくて「手術したら生まれ変わる」と思い込もうとしていました。

不思議なもので、生まれ変わると思い込もうとしていたら、次は

「生まれ変わったら何がしたいか」を考えるようになっていました。

生まれ変わったら旅行したい

生まれ変わったら運動したい

生まれ変わったら語学の勉強を始めたい

生まれ変わったら30代にできなかったことを今から取り返したい!

 

39歳の誕生日に手術が決まったことで否応にも30代を振り返ることになり、

私の心の中にも何かが目覚め、韓国語の勉強を始めたのでした。

 

 

49歳、この10年を振り返り、次の50代につなげていける新しいことを見つけたいと思います。

 

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病気とともに生きるためのヒント

子宮内膜症潰瘍性大腸炎の治療をしていく中で身についた、病気とともに生きるためのヒントをご紹介します。

しんどいときは休息を最優先する

料理、洗濯、掃除、毎日しなくてはいけないことに追われています。体調を崩して体が思うように動かないとき、今までできていたことができない自分に腹立たしくなります。

たとえば私は部屋が散らかっていると「片付けなくちゃ」とすごく焦ってしまうのですが、ここで無理して頑張って片付けても、体調が万全でないので中途半端にしかできません。休息する時間を片付けに使ってしまうことで、体調の回復が遅れてしまいます。

ここは開き直って「多少部屋が散らかっても生きていける、毎日ピカピカにしなくても問題ない!」と思って、片付けない自分を責めないようにしています。体調が安定してから片付ければOKです。

 

病気がきっかけで得られる新しい経験に目を向ける

長く治療を続けていると、良くならない状態に苛立ちを覚えたり、治療に意味を見いだせないときがあります。自分をサポートしてくれる医師や看護師に申し訳ないと感じてしまうときもあります。

このような病気のネガティブな部分にフォーカスせず、病気から得られる新しい経験に目を向けるようになりました。

たとえば、家族のやさしさや新しく出会う人などです。

寝込んでお茶すら淹れることができないときに、家族がお茶を差し出してくれたり、小さなやさしさに気づくことができます。

同じ病気を治療している患者さん同士で情報交換することで、困っていることやありがちなことを共有できたり、悩んでいるのは私ひとりではないことなど、新しい気づきを得ることができます。

ひとりの大人としての時間や空間を持つ

結婚していれば「夫」「妻」、子供がいれば「お父さん」「お母さん」など、さまざまな役割を担って生活しています。

その役割から離れて、個人としての趣味や好きなことを見つけましょう。

私は10年前から韓国語の勉強を始めましたが、勉強している時間は病気のことを忘れられます。だんだんと上達していくことで成長を感じられるので、自分に自信を持つことができます。

自分の時間を持つことが自分の人生を作ります。

毎日習慣にしていることをなるべく続ける

毎日続けていることがあれば、なるべく続けましょう。日々の体調の変化に気づきやすくなり、体調に合わせた生活ができるようになります。

私はヨガを続けていますが、ハードなポーズがきついと感じる日は休息をとるようにしています。いつもできることができないときは無理をしない。これは調子が悪い自分に早めに気づいて体調に合わせた生活ができるようになります。大きく体調を崩さないことにもつながり、続けていること、変わらないこと(体調が安定していること)に支えられて生きていけるようになります。

 

まとめ

しんどいときは休息を最優先する

→無理して仕事や家事をすると、体調の回復が遅れてしまいます。

 

病気がきっかけで得られる新しい経験に目を向ける

→家族のやさしさに気づき、新しく出会う人との交流で自分ひとりではないことに気づくことができます。

 

ひとりの大人としての時間や空間を持つ

→自分の成長を感じること、自分の時間を持つことが人生を作ります

 

毎日習慣にしていることをなるべく続ける

→体調の変化に気づきやすくなり、体調を大きく崩さないことにつながります。

 

 

以上、病気とともに生きるためのヒントを4つご紹介しました。

 

 

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甲状腺の腫れと、検査で偶然見つかった病気

昨年11月のある日、お風呂に入るとき鏡を見ると、首(のどぼとけのあたり)の左側が腫れているのに気がつきました。ポコンと楕円のような形で、水を飲んだりするとその腫れた部分も動きます。

11月下旬に父の容体が悪くなり、2週間後に亡くなり、その後通夜、葬儀となかなか時間が取れず、病院に診察に行けたのは12月下旬になってからでした。

 

甲状腺が腫れている

かかりつけのクリニックへ行き、目視で甲状腺が腫れていると言われ、手術のできる大きな病院を紹介してもらいました。

 

エコー検査では良性のようだけど、念のため細胞診(良性か悪性か)、血液検査(甲状腺ホルモンの測定)、CTの撮影(周辺の臓器への広がりや転移の有無の確認)をしました。

 

2週間後、検査結果

年明けに検査結果を聞きに行きました。

甲状腺は問題ないとのことでしたが、年齢的に今後悪くなる恐れもあるとのことで、経過観察になりました。半年後に検査です。

 

が!

こないだのCT検査で別の病気が判明しました。

 

検査で偶然見つかった病気

胸部(背骨に近い部分)に3.5センチの腫瘤が見つかり、そのまま呼吸器外科の診察に回されました。

CT画像を確認しながら、疑われる病気の説明がありました。

  1. 神経原性腫瘍(交感神経、肋間神経など神経から発生する腫瘍)
  2. ミュラー菅のう胞(閉経前後の女性に見られるのう胞)
  3. SFT(境界悪性の肺腫瘍)
  4. 脂肪腫(脂肪のかたまり)

3.5センチという大きさのこともあり、来週検査することになりました。

レントゲン、造影MRI検査、血液検査、検尿です。

 

30代は手術してばかりの10年だったので、40代はそういうことがなければいいなと思っていましたが、そうもいかないようです。

わりと身近な親戚に「なんでそういう病気になったのか」を聞いてくる人がいるのですが、今回もまた同じこと言われるんだろうな。

 

 

 

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父の異変

父は13年前に母が他界してからマンションに一人暮らしでしたが、料理も得意で日曜大工や花を生けるなどの趣味もあって、わりと活動的な生活をしていました。

父の認知症を疑ったきっかけは5年前です。

 

過去に鼠径ヘルニアの手術をしたことがあって、また具合が悪くなったようで父ひとりで病院に行ったらしいのですが、父の説明が要領を得ず、私が付き添いで話を聞きに行くと、「病院の手術室を改装するため、すべての患者さんの手術ができないので他の病院を紹介させてほしい」とのことでした。

主治医が何を説明しているか、父には理解できなかったようです。

並行して認知症外来のクリニックを受診し、鼠径ヘルニアの手術も他の病院で無事に済ませることができました。

 

父はアルツハイマー型と脳梗塞脳出血が原因で起こる血管型が合わさった、混合型の認知症と診断されました。

主な症状は物忘れでしたが、感情的になって自分の言いたいことだけ言って私や弟の話を聞かないこともありました。

 

父の長年の習慣で、リビングに大きなカレンダーを貼ってそこにゴミの日や自分の予定などを書き込んでいたので、必ず見るだろうと思って診察日も記入しておきました。

父はカレンダーの診察日を見るたびに

「○日はクリニックに行くんやな。悪いけど付き添ってもらわれへんか」

と、私や弟に何度も念押しすることもあれば

「近くの××病院で診てもらうから、クリニックには行かなくていいんや」

などど事実でないことを言ったり(作話、さくわと言うそうです)

診察の前日に電話をかけてきて、私が出るなり怒鳴り散らして

「クリニックには行かへん!!もういい!!」と、こちらの話も聞かずに一方的に電話を切るのです。

翌日は何事もなかったように診察に行くので、感情的になって電話してきたときはとりあえずそのまま聞き流す対応をしました。

 

クリニックまで電車で通院していましたが、帰りの切符を買うときに自分が降りる駅の名前を探せなかったり、雨の日にクリニックの玄関に傘を立てたあと、診察終わりに自分の傘がどれかわからないなど、認知症が進行していく様子が伺えました。

 

弟が会社帰りに父の様子を頻繁に見に行ってくれて、どうにか父の一人暮らしができている状態でしたが、父がクリニックで処方された薬を捨ててしまうようになったので在宅介護サービスを申し込みました。

認知症発症から2年、おととしの春です。

 

 

pla5tic5mile.com

 

 

 

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1日10分の面会

昨年の夏に認知症で施設に入所した父の容態が悪くなり、面会に行ってきました。

今年の8月ごろから誤嚥性肺炎で入退院を繰り返し、肺の機能が相当弱っている状態でした。

コロナ対策で何ヶ月も面会できずにいましたが、お看取り対応で許可されました。

1日に1人だけ、10分まで。

ビニールのガウンと靴カバー、フェイスシールドをつけて病室に入りました。

 

父とはあまり性格が合わず、父と関わることがしんどくて結婚してからは会う頻度を減らして、たまに会うときは私ひとりでなく夫も一緒に会うようにしていました。

 

父はうんと若いころから飲酒を始めたようで、私が物心ついたころから仕事終わりには飲酒し、酔って帰ってきました。大量に飲酒できることを自慢に思っている、価値があることと思っているようでした。

私がライブや演劇を見に行ったりすると、そういうものに金をかけるなら酒を飲む方がマシなどと言って私の好きな世界をバカにしました。

それは私が結婚してからも変わらず、新しい親戚の前でも同じ振る舞いをしました。

弟の奥さんと子どもが父に花のプレゼントをしたときに、その花の値段を聞いて「花は○○で買うほうが断然安い」と言い放ったそうです。

父が言うようにたしかに○○で買う花のほうが安いのかもしれませんが、買える花の種類が違うし、そもそも花をプレゼントするというのはどういうことかわかっていないのです。感謝の気持ちを表してくれたものなのに、それに対して値段を聞いて、安く買える花屋をわざわざ口にする。その振る舞いで私や弟が恥ずかしい思いをしていること、親戚がイヤな思いをしていることをなんとも思っていないような人でした。

 

父の認知症を疑い始めたのは5年前です。

話に辻褄が合わないことが増えて、弟あてに何度も同じことで電話してきました。

認知症外来には弟と私と、ふたりで付き添いました。

 

 

 

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